ドイツ語の名言、私が選んだ17選

ドイツ語の名言・格言が知りたい、という人は少なくないようです。ドイツには著名な詩人や哲学者が多いからでしょうか。

私はドイツ文学を研究したことはありませんが、ドイツ好きの一人として、個人的に好きな言葉や人気の言葉をご紹介したいと思います。発音や文法も簡単に解説しましょう。

詩人によるドイツ語の名言

Verweile doch, du bist so schön!

フェアヴァイレ・ドッホ、ドゥー・ビストゥ・ゾー・シェーン。
《止まっておくれ、お前はあまりにも美しい。》
”doch”は副詞で、強調や念押しに使われます。このような命令文だと「いいから○○しろ」「頼むから○○してくれ」というニュアンスです。

ドイツ語の名言としては最も有名なのではないでしょうか。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)の戯曲『ファウスト』において主人公のファウスト博士が発するセリフです。森鴎外は「まあ、待て、お前は実に美しいから」と訳しました。

私が最も好きなドイツ語の文です。特に”verweilen”という動詞が本当に美しい。ドイツ語において、”v”と”w”の発音は似ています。どちらも唇の形・舌の位置が同じで、声帯を震わせないと”v”、震わせると”w”。この、唇のあいだを抜けていく吐息が、感嘆のこもった溜め息のように思えるのです。そして、”w”のあとに来る”l”もまた優雅。完璧に美しい音の構成だと感じます。

劇中での使われ方もまたロマンティックです。物語を終わらせるための「契約の言葉」として機能しています。

『ファウスト』第1部において、悪魔・メフィストフェレスに対しファウストはこう言います。「私がある瞬間に対してこう言ったとする。”Verweile doch! du bist so schön!”(中略)そうすれば弔いの鐘が鳴り、(中略)時計が止まり、(時計の)針は落ちるだろう。それが私の最期になる」

この宣言によって、ファウストとメフィストは契約を交わします。メフィストはファウストの召使いとなって彼に現世のあらゆる快楽を体験させ、ファウストが甘い夢におぼれて”Verweile doch!”と言ったら最後、死後の世界でメフィストの召使いになるというものです。つまり、”Verweile doch!”が発せられるのは、ファウストにとって最も甘やかで素晴らしい瞬間ということなのです。

そして第2部のクライマックス、ファウストは「Verweile doch, du bist so schön!」と言い絶命します。ドイツ語史上、最も劇的に使われたセリフといっても過言ではないでしょう。

Jugend ist Trunkenheit ohne Wein.

ユーゲントゥ・イストゥ・トゥルンケンハイトゥ・オーネ・ヴァイン。
《若さとはワインなしで酩酊することだ。》

ゲーテの『西東詩集』に収められた、酒に関する詩の一部です。三十路に達して思うのですが、10代や20代の頃に覚えたあの暴力的なほどの情熱って何だったのでしょうか? 時代も地域も超えて通用しそうな、まさに名言。

Man lebt nur einmal in der Welt.

マン・レープトゥ・ヌーア・アインマル・イン・デア・ヴェルトゥ。
《この世で生きられるのはただ一度だけ。》

ゲーテの戯曲『クラヴィーゴ』の一節。スペインを舞台にした男女の悲劇です。第1幕の冒頭で、主人公のクラヴィーゴは友人のカルロスに打ち明け話をします。いわく、雑誌制作の仕事がうまくいき、多くの名声を得ていると。そして出世に邁進するため、女性に費やしている時間はなく、恋人と別れたいと。

女好きのカルロスはクラヴィーゴをなだめつつも、交際しているうちに女性から結婚を迫られるようになるのは「ペストのように怖ろしい」ことだと言います。そしてこう告げるのです。「けれど、この世で生きられるのはただ一度だけだと思うよ。これほどの能力を、これほどの展望を得られるのは一度きり。そしてこれらをうまく利用せず、できうるかぎり遠くまで自分を駆り立てようとしない奴は、馬鹿だよ」と。

つまり、結婚の約束を果たすために眼前の成功を手放すべきではないと主張しているのです。人生はたった一度きりなのだから。

夢を追いつづけるか、結婚して家庭に収まるか、という葛藤は、古今東西変わらないものなのですね。現代日本の男女にも響く言葉ではないでしょうか。

Es ist eine alte Geschichte, doch bleibt sie immer neu.

エス・イストゥ・アイネ・アルテ・ゲシヒテ、ドッホ・ブライプトゥ・ズィー・イマー・ノイ。
《これは古い物語ではあるが、しかし常に新しくもあるのだ。》
こちらの”doch”も副詞ですが、「しかし」という意味で接続詞的に使われています。

歌曲「ローレライ」の作詞で知られるハインリヒ・ハイネ(1797~1856)の詩集『歌の本』に収められた「1人の青年が1人の少女を愛している」で始まる詩の一部です。簡単にまとめると、青年が愛した少女は別の男性を選び、しかしその男性は別の女性と結婚し、少女は怒りながらも青年と結婚する、というもの。

「これは古いエピソードだが、似たような話は今でもたくさんある」ということです。「よくある話だよね」と言いたいときに使えそうなドイツ語の名言ですね。

Dich liebt’ ich immer, dich lieb’ ich noch heut’. Und werde dich lieben in Ewigkeit.

ディッヒ・リープトゥ・イッヒ・イマー、ディッヒ・リープ・イッヒ・ノッホ・ホイトゥ。ウントゥ・ヴェルデ・ディッヒ・リーベン・イン・エーヴィヒカイトゥ。
《君を僕はずっと愛していた。今でも愛している。そして永遠に愛しつづけるだろう。》
”lieben(愛する)”という動詞が過去形・現在形・未来形の3種に活用されています。”liebt’”は”liebte”の、”lieb”は”liebe”の、”heut”は”heute”の語尾を省略したものです。

ロマン派の詩人、ルートヴィヒ・ウーラント(1787~1862)による「看板娘」という詩の一節。ある酒場に3人の青年がやって来て、「綺麗な娘さんはどこ?」と女主人に尋ねます。そして答えは「棺に横たわっています」というものでした。

看板娘の棺を見た青年たちの反応はさまざま。1人目は「生きているように美しい顔だ。今からでも愛せるのに」と悲しそうな顔をします。2人目は「何年も前から愛していた」と涙を流します。そして3人目は娘の亡骸に口づけて、このセリフを言ったのでした。

”lieben”という動詞を過去・現在・未来にわたって活用したこのセリフは、非常にシンプルで直球な愛の表現です。だからこそ、恋愛に関するドイツ語の名言として人気が高いのでしょう。

ドイツ語の伝統的な名言・格言

Ohne Fleiß, kein Preis.

オーネ・フライス、カイン・プライス。
《勤勉なくして成果なし。》
”Preis”とは英語でいう”prize”で、「褒美、賞品」を意味します。”Fleiß”と”Preis”が韻を踏んでおり、覚えやすい語感です。

ドイツの伝統的な格言。地道な努力が重んじられる、ドイツらしい名言です。座右の銘には最適といえるでしょう。

Eile mit Weile!

アイレ・ミットゥ・ヴァイレ。
《時間をかけながら急げ。》
”Weile”とは「短めの時間」を表す名詞。英語でいう”moment”のようなニュアンスです。上で紹介した動詞”verweilen”の中にも見られます。短いうえに韻を踏んでいるため、これも覚えやすい格言です。

日本語のことわざでいう「急がば回れ」に近いと考えられています。しかし、「急がば回れ」は「急ぐよりも、回り道をとって物事を確実に進めたほうが結果的には早い」という意味であるのに対し、”Eile mit Weile!”は「急げ」とはっきり言っています。「焦らずに急げ」という日本語のほうが近いのではないでしょうか。

Kommt Zeit, kommt Rat.

コムトゥ・ツァイトゥ、コムトゥ・ラートゥ。
《時が来れば、知恵も来る。》
”Rat”という名詞には、「助言」「名案」「相談」「決議」「委員会」などさまざまな意味がありますが、大本の意味は同じです。文脈によって適切な日本語訳をあてるのが難しい単語だなあ、とよく感じます。

日本語のことわざ「待てば海路の日和あり」に相当すると述べている辞書もあります。悩んでいても仕方ない、時間が経てばアイディアが降りてくるだろう……というニュアンスです。たしかに、よいアイディアとは脳がリラックスしている状態のときに生まれるものですから、「考えよう」と意識するばかりでは妙案は浮かびません。納得のいく格言です。

Alte Liebe rostet nicht.

アルテ・リーベ・ロステットゥ・ニヒトゥ。
《昔の恋は色あせない。》

辞書によっては、「焼けぼっくいは火がつきやすい」――つまり、「以前の交際相手とよりを戻す」という和訳をあてていますが、なんだか美しくないですね。文字どおりに読めば「昔の恋は錆びつかない」。初恋はいつまでも思い出のなか、色鮮やかでありつづける……そんな解釈をしたいものです。

Die Zeit heilt alle Wunden.

ディー・ツァイトゥ・ハイルトゥ・アレ・ヴンデン。
《時間は全ての傷を癒やす。》
”heilen”は英語の”heal”にあたり、「治療する」という意味です。”Heil”という名詞になると「健康」や「平穏」、あるいは挨拶の言葉として「万歳!」などを意味します。

時間が回復してくれる。非常にシンプルであり、全ての時代・地域で受け入れられるだろう格言です。人間の記憶は、時間が経つにつれて薄くなっていくもの。自分が犯してしまった大きな失敗や、対人関係における不快な記憶がもたらすストレスが、いずれ軽くなりますように。

Andere Länder, andere Sitten.

アンデレ・レンダー、アンデレ・ズィッテン。
《別の国には別の風習がある。》

別の国には別の風習がある……つまり、風習は国や地域によって異なる、ということです。1871年の統一後ですら、いくつもの王国や候国に分かれていたドイツならではの格言、といえるかもしれません。独和辞典では「所変われば品変わる」という日本語の言い回しが紹介されていますが、「郷に入っては郷に従え」とも解釈できそうです。

Gleich und gleich gesellt sich gern.

グライヒ・ウントゥ・グライヒ・ゲゼルトゥ・ズィッヒ・ゲルン。
《似た人間は集まりやすい。》
”gern”とは「喜んで○○する」「○○しがちである」という意味の副詞。ここでは「仲間として集まるのを楽しむ」と解釈できそうです。また、文として成立しているにもかかわらず、主語がないのがこの文の特徴。ドイツ語は英語と違って、このように主語のない文を作ることができます。一般的な人間を表す”man”が省略されていると考えることも可能です。

日本語の「類は友を呼ぶ」に相当。”gesellen”は私も初めて見た動詞ですが、「社会」を意味する”Gesellschaft”の動詞版だと思えば納得です。人々が”gesellen”した結果として生まれたものが”Gesellschaft”だといえるでしょう。

この格言では”gleich(同じく、すぐに)”という副詞が繰り返しによって強調されています。価値観の似た人間は、自然と同じ行動をとる。だから仲良くなっていっしょに過ごしやすい、ということです。

Auf Regen folgt Sonnenschein.

アウフ・レーゲン・フォルクトゥ・ゾネンシャイン。
《雨のあとには太陽の光が来る。》

雨が「悪いこと」、太陽が「良いこと」の比喩として使われています。ほかの文化圏でも通じるたとえですね。

永遠に降りつづける雨などない。いつかは晴れるときが来る。だから、嫌なことのあとには必ずよいことが訪れるものだ――。「苦あれば楽あり」「明けない夜はない」と同じですね。

Hunde, die bellen, beißen nicht.

フンデ・ディー・ベレン・バイセン・ニヒトゥ。
《ほえる犬はかみつかない。》
今回ご紹介するドイツ語の名言のうち唯一、関係代名詞が使われています。”die”は複数1格の関係代名詞。直前の名詞”Hunde” (Hundの複数形) を修飾するものです。

文句や批判ばかり口にしている人ほど実際の行動に移さない、という意味。日本語でも「弱い犬ほどよくほえる」と言いますね。しかし、日本語の辞書に載っているのを見つけられなかったので、外国語からの借用なのかもしれません。英語にも全く同じ”Barking dogs seldom bite.”という表現があるわけですが、どの地域が発祥なのでしょうね?

Viele Hunde sind des Hasen Tod.

フィーレ・フンデ・ズィントゥ・デス・ハーゼン・トートゥ。
《たくさんの犬はウサギにとっての死である。》
”des”は2格。「所有」や「所属」を表します。この場合、”des Hasen”は”Tod”にくっついていて、「ウサギの死」という意味になるという解釈が妥当でしょう。

こちらも犬関連のことわざ。『孟子』に由来する「衆寡敵せず」と全く同じ意味のようです。すなわち「数の少ないほうが多いほうと戦っても、勝つことはできない」。

たしかに、少数派が多数派に打ち勝つのは非常に難しいことです。しかし、15世紀に起きたアジャンクールの戦いのように、数で何倍も上回っていた敵軍に勝利した、という歴史的な事例もないわけではありません。数で負けていたほうが勝つ、という可能性は常にあるのです。

Hochmut kommt vor dem Fall.

ホーホムートゥ・コムトゥ・フォーア・デム・ファル。
《没落の前に高慢が来る。》

言い換えると「高慢のあとに没落が来る」。日本語の「驕れる者は久しからず」に相当します。

高慢な態度は周囲の反発を招くうえ、油断も生みそうです。自分が成功続きだとしても、調子にのりすぎないように心がけたいですね。

Der Apfel fällt nicht weit vom Stamm.

デア・アプフェル・フェルトゥ・ニヒトゥ・ヴァイトゥ・フォム・シュタム。
《リンゴは幹から離れたところに落ちない。》

リンゴは枝の下に落ちるしかない。つまり、行く先はある程度、生まれつき決まっているということです。日本語の「蛙の子は蛙」と同じですね。

ドイツ語の名言や格言を紹介しました。気に入ったものは見つかりましたか? ドイツに興味のある方にとって何らかの役に立てたら幸いです。